お正月の楽しみといえば、初詣やお節料理が思い浮かびますが、ランニング好きにとっては「箱根駅伝」が欠かせません。
東京・箱根間の約200kmを2日間かけて往復するこのレースは、毎年多くの人々を魅了しています。
この記事では、箱根駅伝の雑学や豆知識を紹介し、その魅力をお伝えします。
箱根駅伝の選手に関する豆知識
エントリー人数について
各大学のエントリー人数は16人ですが、実際に走るのは10人です。
12月10日に各大学が16人をエントリーし、12月29日にその中から10人の出走選手と補欠6人を決定します。
レース開始1時間10分前まで、補欠選手の中から4人まで変更が可能です。
外国人留学生の出場
外国人留学生の出場は1人までと決まっており、エントリーは2名まで可能ですが、実際の出走は1名のみです。
「山の神」とは
「山の神」とは、往路第5区の山登りで驚異的な成績を残した選手に贈られる称号です。
初代は今井正人さん(順天堂大学)、その後、柏原竜二さん(東洋大学)、神野大地さん(青山学院大学)がその名を受け継いでいます。
東大の出場歴
東京大学も1984年に一度だけ出場し、17位という成績を収めました。
ごぼう抜き記録
「ごぼう抜き」とは、前を走る選手を次々と追い抜くことを指します。
歴代最多記録はキダウ・ダニエル(日本大学)の20人抜きです。
山下りのスピード
第6区の山下りは標高差約834mで、選手は100mを13秒台で走ることもあります。
この区間は「落ちていくような」感覚になると言われています。
箱根駅伝の運営に関する豆知識
伴走車の役割
各大学に1台の伴走車が用意され、監督やチームスタッフ、競技運営委員、走路管理員、ドライバーが乗車します。
声掛けができるのは特定のポイントで、時間は1分間に限られています。
たすきの管理
たすきは各大学2本用意し、1本はスタートから選手が使用し、もう1本は5区と10区のスタート地点で保管されています。
これは繰り上げスタート時に備えるためです。
往路優勝校のトロフィー
往路優勝校には、伝統工芸士が作った箱根寄木細工のトロフィーが贈られます。
天候による延期や中止
箱根駅伝は真冬に行われますが、これまで天候による延期や中止は一度もありません。
箱根駅伝の歴史に関する豆知識
踏切でのストップ
昔はコース上に3つの踏切があり、選手は電車の通過を待たなければなりませんでした。
現在では選手が通過するまで電車が停まります。
オリンピック選手養成の目的
箱根駅伝は、ストックホルムオリンピックに出場した金栗四三さんが、オリンピックで通用する選手を育てる目的で発案しました。
たいまつでの誘導
第1回大会(1920年)では街灯が普及しておらず、青年団の人々がたいまつを持って選手を誘導しました。
授業後の駅伝参加
初期の箱根駅伝は、授業が終わってから参加する選手も多く、超ハードスケジュールで行われていました。
テレビ放送の始まり
箱根駅伝の初めてのテレビ放送は、テレビ東京が1979年の第55回大会で行いました。
日本テレビが放映を開始したのは1986年からです。
その他の豆知識
「花の2区」とは
2区は平地区間では最長であり、エースが集まるため「花の2区」と呼ばれています。
多くのごぼう抜き記録がこの区間で生まれています。
金栗四三杯
箱根駅伝の最優秀選手に贈られる金栗四三杯は、日本マラソンの父である金栗四三さんの功績を称えて設立されました。
オリンピック選手の輩出
箱根駅伝に出場した選手の中から、多くのオリンピック選手が誕生しています。
2021年の東京オリンピックまでに、箱根駅伝出身のオリンピック選手は85人に上ります。
箱根駅伝の魅力を深掘り
経験豊富な監督たちの戦略
箱根駅伝は選手だけでなく、監督たちの戦略も大きな見どころです。
各区間の配置や伴走車からの指示など、監督の判断が勝敗を左右します。
地元の応援
沿道には多くの地元住民が集まり、選手たちを応援します。
この応援が選手たちの力となり、厳しいレースを乗り越える原動力となっています。
ライバル校との競争
毎年、ライバル校同士の熾烈な争いが繰り広げられます。
特に優勝を争う上位校同士のバトルは、見ている側も手に汗握る展開となります。
スポンサー企業のサポート
箱根駅伝は多くのスポンサー企業によって支えられています。
各企業が選手たちに提供するサポートやプロモーション活動も見逃せません。
まとめ
これらの情報を知っておくことで、箱根駅伝をさらに深く楽しむことができるでしょう。
次回のレースを観戦する際には、ぜひこれらのポイントにも注目してみてください。